最近、目に見えて体力の低下を感じる機会が増えてきた。年齢的にもまだ衰えを感じるのはまずいと思ったので、運動を習慣化していく方法を模索していく。
なぜ習慣化できないのか
「毎日ラジオ体操をする」といった比較的難易度が低い物であっても途中で挫折してしまい、習慣化することはできなかった。その原因をいくつか考えてみた。
運動が目的になっているから
健康のための運動とはいえ、実質的には運動が目的となってしまっていると考えた。
運動は好きでやっていることでは無いし、誰に強要されるものでも、それをしたことで何らかの報酬を得られるわけでも無い。好きでもないことを目的として行動することは難しいだろう。
脳筋はなぜ筋トレを続けるか
筋肉を得るために筋トレをする人たちは、「運動」が目的ではなく「筋肉を得る」目的のために運動という手段を利用している。つまり運動は副産物的なものであり、好きな目的を行っているから続けられている。と言えそうだ。
脳筋が求めているものは運動器具ではなく筋肉である(決して乏しているわけではなく、そのポジティブ思考を尊敬している)。
得られる利益が不明確だから
健康のために運動をしたところで、実際健康に影響しているのか実感することは難しい。長期的な目線ではなくその場の目線で考えると、運動のために使う時間を別の時間に割り当てたほうが有益的であると考えてしまうのかもしれない。
プログラミングのように、目に見えて完成していくものでもなく、そして終わりがあるわけでもない運動という行為は、利益を明確にすることが難しい。
環境が整っていないから
運動を始めるまでの環境に何らかの問題がある可能性も考えられる。ただでさえめんどくさいと考えているものなのにも関わらず、始めるために手間がかかる様であればさらに実行に移す可能性は低くなる。
「ラジオ体操をする」という例えでは、運動を行う場所がないといった場所的な問題や、ラジオ体操の動画を開くための手間が問題となっているかもしれない。
ラジオ体操の動画を開くためには、ブラウザを開いて、Youtubeを開き、検索して動画を開く。という手順を踏む。この4ステップは、ラジオ体操を始めるための障害となる。ただ、この問題はデスクトップにショートカットを設置することで1つのステップに短縮することが可能だ。
手段としての運動
運動を目的ではなく手段にする、つまり「ついでに」運動をしている。という状況にする為の目的を考えてみた。
毎回何処かに行く必要がある目的は、それ自体が長く続かないだろうし、移動のための時間が余計に掛かるので除外する。
OpenStreetMap
OpenStreetMapは地図版Wikipediaの様な物で、地図をコミュニティが編集していくプロジェクトである。GPSトラッカーを持ち、歩き回ってデータを収集し、そのデータを読み込んで地図を作る。散歩やサイクリングを手段とするのにはよさそうな目的だ。
神社巡り
目的地を設定してそこに行くという目的のために運動を手段として利用する。ただ、近所にそんな大量の神社はない。
リングフィットアドベンチャー
リングフィットアドベンチャーは、任天堂のフィットネスアドベンチャーゲームだ。ストーリーを進めるという目的があるため、運動を手段とできそうだ。
ビートセイバー
ビートセイバーは、Beat GamesのVRリズムゲームだ。比較的全身を使うので、ある程度の運動にはなるだろう。
何処かに行くというのであれば、山登り(山頂を目指す)や写真撮影などを目的とする事が可能であるが、日常的な運動の習慣化という目的である以上、毎日行えるようなものがよい。
運動不足は、気力が低下してしまい日常生活に悪影響が出る。しかも、気力が低下するということは運動を行う気力も起きず、さらに運動不足に陥ってしまうという悪循環が生まれてしまう。甘えた気持ちはどこかで断ち切らなければならない。